軍艦島は、長崎県長崎市にある端島という小さな島です。
かつて海底炭鉱で栄えた島で、最盛期には約5000人が住んでいました。しかし、1974年に炭鉱が閉山して以降は無人島となり、現在は廃墟と化した姿が世界遺産に登録されています。
本記事を読めば、軍艦島には何があったか、軍艦島の歴史、人がいなくなった理由などを理解いただけます。
軍艦島とは?その島には何があったのか
軍艦島には資源として石炭があったことから栄えた島です。
石炭出炭量が最盛期を迎えた1941年(昭和16年)には約41万トンを出炭しました。
軍艦島には、生活に必要なものが全て揃っていました。
- 住宅:高層RC造アパートや木造アパートなど、様々なタイプの住宅がありました。
- 学校:小学校と中学校がありました。
- 病院:診療所と病院がありました。
- 商店:食料品店や衣料品店など、様々な商店がありました。
- 娯楽施設:映画館やパチンコ店など、娯楽施設もありました。
その他にも、神社仏閣、消防署、派出所、郵便局など、都市機能が充実していました。
軍艦島の歴史
軍艦島では1810年に石炭が発見され、1890年に三菱合資会社が島を買収して本格的な炭鉱開発が始まりました。その後、海底炭鉱技術の発展とともに島は急速に発展し、1959年には人口が5129人に達しました。
島には、住宅、学校、病院、商店、娯楽施設など、生活に必要なものが全て揃っていました。また、当時は日本初の高層RC造アパートや、世界一長い海底水道など、最先端の技術が導入されていました。
江戸時代後期
- 1810年頃:端島で石炭が発見される。
- 1887年:高島炭鉱の深堀炭鉱から海底炭鉱の試掘が始まる。
明治時代
- 1890年:三菱合資会社が端島を買収し、本格的な海底炭鉱開発が始まる。
- 1891年:第一竪坑が完成し、本格的な石炭採掘が始まる。
- 1897年:第二竪坑が完成。
- 1902年:第三竪坑が完成。
- 1911年:人口が5000人を超える。
- 1916年:日本で初めて鉄筋コンクリート造りのアパートが建設される。
- 1945年:第二次世界大戦終戦。
昭和時代
- 1959年:人口が5129人に達し、ピークを迎える。
- 1960年代:エネルギー革命の影響で石炭産業が衰退。
- 1974年:1月15日に端島炭鉱が閉山。4月20日に全ての住民が島を離れ、無人島となる。
- 1987年:映画「戦艦大和」のロケ地として使用される。
- 2005年:「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界遺産に登録される。
- 2009年:観光客向けの上陸ツアーが開始される。
- 2015年:年間観光客数が10万人を超える。
現在
- 軍艦島は、世界遺産として多くの人々に日本の近代化の歴史を伝えている。
- 廃墟となった建物は、独特の景観を生み出し、映画やドラマなどのロケ地としても利用されている。
軍艦島が栄えた理由は、以下の3つが挙げられます。
- 良質な石炭: 軍艦島周辺の海底には、良質な石炭が豊富に埋蔵されていました。
- 海底炭鉱技術の発展: 20世紀初頭に海底炭鉱技術が発展したことにより、効率的な石炭採掘が可能になりました。
- 日本の高度経済成長: 日本の高度経済成長期には、エネルギー源として石炭の需要が大きく増加しました。
軍艦島から人がいなくなった理由
1960年代以降、エネルギー革命の影響で石炭産業は衰退し、1974年に端島炭鉱は閉山しました。閉山後は住民たちが島を離れ、無人島となりました。
軍艦島が廃墟になった理由は、以下の2つが挙げられます。
- エネルギー革命: 1960年代以降、石油や天然ガスなどのエネルギー源が主流となり、石炭産業は衰退しました。
- 炭鉱閉山: 1974年に端島炭鉱が閉山し、島民たちは島を離れました。
軍艦島に行くには
軍艦島は現在、世界遺産に登録されており、観光客が上陸できるようになっています。長崎港から定期船が運航しており、約30分で島に到着することができます。
島内にはガイド付きツアーが催行されており、ガイドの説明を聞きながら廃墟となった建物を巡ることができます。
まとめ
軍艦島は、日本の近代化を支えた炭鉱島の歴史と、その後の廃墟となった姿を見ることができる貴重な場所です。世界遺産に登録されたことで、国内外から多くの観光客が訪れています。
参考資料
軍艦島デジタルミュージアム: https://gunkanjima-museum.jp/
長崎市公式観光サイト:https://www.at-nagasaki.jp/spot/51797
Wikipedia(端島):https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AF%E5%B3%B6_(%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C)